AS-Pa-1
求愛
2017
Acrylic, ink on canvas
22.2 x 27.3 cm
Photo by Keizo Kioku
佐藤允 Ataru Sato
2017
Acrylic, ink on canvas
22.2 x 27.3 cm
© Ataru Sato, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA
今月よりニューヨークのカルチャー雑誌OFFICE MAGAZINEのライターとして、日本のアートを紹介します。記念すべき第一弾は、KOSAKU KANECHIKAで今月24日まで展示会を開催中の佐藤允さんへのインタビューです。英語版は、OFFICE MAGAZINEに掲載されています。(English version is available at Office Magaizne).
あたるさんの作品に私が心を惹かれるのは、理性的なものより、もっと直感的に肉体で感じられるものだけをアートにしているところ点です。感じるものを直ぐに表現しようとするその瞬発力が、あたるさんの才能のように感じます。
絵を描いていて、これはどういう意味の絵なのかと人に訪ねられた時、僕はとても困ってしまいます。その場合、僕がどんなことを話してもみんなは納得してしまうからです。
もし絵自体に意識や感情があった場合に、絵はベラベラと適当な言葉で絵の装飾をしている僕をじゃまだと思うでしょう。
もしも言葉でその絵のすべてを語ることが出来たとしても、それが素晴らしい事だとは思えません。
過去にこういうことがありました。
身の回りの色々な出来事に心も狭くなり、自分だけが苦しいと思いこんでしまって、みんな死んでしまえと思いながら長期間かけて描いた絵があり、その絵について人に訪ねられても、言葉にすることに抵抗がありました。するとある人が『この絵には愛がある』と僕に言いました。
僕はその後、とても混乱してしまいました。
僕は絵を描いているけれど描いてしまえば、僕は絵にとって不必要な存在なのでは?と考えることがあります。
僕にとっても、描いてしまえば不必要になり捨ててしまう絵が沢山あります。
僕に大切なのは絵を描く行為そのもので、それを人にどう受け止めてもらっても構わないと今では思っています。
生きる上で困難な事は、思いを吐き出す相手や方法が見つからない事で、僕は不健全な事に悩むその都度に絵を使ってその思いを吐き出すことでどうにか健全に生きられるような気がしています。
目については、実はその質問があるまで考えたことがありませんでした。今回の展覧会場に立つと360度から人に見つめられているように
絵が展示されていて、目や視線というものが展示の重要な要素になっていることにも気がつきました。
日本には『空気を読む』という言葉があります。日本人は自分から主体的に何かを提示するというよりも、その場の状況や起こった事、人の目に反応して動くという傾向があるように思います。僕もその中の一人で、子供の頃から人の目を気にする環境にありました。両親は共に聴覚障害者で、世間は僕達を色々な目で見た。僕もその目に合わせて生きた。よくよく考えれば人の目には精神や人生を左右するすごい力があるのかもしれません。
4つの基本的な色を巧みに使っているのが特徴ですが、それらの色(黒、赤、青、白)に特別な思いはありますか?日本の作家では田名網敬一を敬愛すると伺いましたが、海外の作家で特に影響を受けた人はいますか?私は、フランシス・ベーコンのような理不尽で背徳的な美をあたるさんの作品から感じられます。
油絵を始めようと思った時、恥ずかしながら僕には高価な絵の具を用意するお金がなく、はじめに購入した絵の具は、赤、青、黒、白の四色だけでした。所持する色数が増えた今でも、赤青白黒の同系色ばかりに惹かれるのはなぜなのかよくわかりませんが、子供の頃から好きで見ていた人体図や医学図は、部位や構造をわかりやすくするために血管や器官が実際の色と違う赤や青で塗られていました。その影響もあるのかもしれません。
ベーコンは好きな作家ですが、余り意識したことがありませんでした。似ている点と言えば、スタジオの床に絵や資料が散らばっていてとても汚いという点だと思います。
学生の頃ロバートクラムのドキュメンタリーを見て、とても感動しました。今でも時々彼や彼の母、弟や息子の事をよく思い出します。
幼い頃から絵を表現するのではなくて、ただ吐き出していたと言っていましたが、褒めてくれる人が少ない中で、隠れるように作品を作り続けることは辛かったのではないでしょうか?高校生の時に、自分の絵を褒めてくれる先輩に出会えたことが絵を描くことに自信を持てたように思います。今は、幼い頃に持っていた不安には解放されていますか?
僕の両親は僕が絵を描くことをとても嫌がっていました。どこで絵を描いても、誰に絵を見られても、気持ち悪いね。としか言われず、友人も少なく勉強も運動も出来ず取り柄もない。中学生になっても家の隅でこっそり絵を描いたり、人形遊びをしている僕を父親は河原に連れ出しました。そして地面に真っ直ぐ線を引き、この上を真っ直ぐ歩けるか?と僕に聞きました。
僕はとてもそれが悲しくて、大人になるまで、両親とどこかに出かける度に、棄てられるのではないかという不安がありました。
高校生の頃、女の子とばかり話している気持ち悪い僕の絵を誉めてくれたのは一つ上のある先輩で、僕がテスト用紙の裏に描いた絵を偶然に見つけ、お前の絵が欲しいからもっと描いてくれと言われました。このことは、僕にとってとても大きな出来事でした。
今でも描いていて、僕の描く絵が大多数の人に認められる絵だとは思えません。けれど、どこかにその絵を理解してくれる人がいるかもしれないという希望が、僕が絵を発表する理由になっています。
疎外感は常に感じています。
高校まではほとんど公に絵を描いていることを見せなかったありますが、晴れて京都の美術大学に入学した後は、どんな学生でしたか?多くのクラスメートと自分の作品を共有する機会に恵まれたと思いますか?
僕の入学した大学には金銭的に余裕がある家庭の生徒が多く、借金を膨らませて通っている僕とは精神的に大きな違いがありました。
クラスメイトとは仲良く過ごしていましたが、どことなく距離を感じていたし、現在、大学の同級生の誰とも交流はありません。
自分で選んだ進学なので、どんなに気に食わない先生の課題や意見にも、服従するのが僕のルールでした。とにかく、恥ずかしいくらい必死な学生時代だったように思います。
同年代の人の作品を観たり受け入れられるようになったのはつい最近のことです。クラスメイトの作品を冷静に観る余裕はありませんでした。
大学を卒業されてから制作された作品をギャラリーのサイトで見せていただきますと、インクや鉛筆を使った作品を中心に制作されていますが、最近になりペインティングを多く制作されていると伺います。その転換のきっかけとなったのはなんでしょうか? ドローイングにないペインティングの魅力はなにでしょうか?
ペインテイングを始めたきっかけは、ミヒャエルボレマンスが30歳からペインテイングを始めたと何かの本で読んだからです。僕はその時29歳で、下らない理由ですが、始めるなら今だなと思いました。
ドローイングとペインテイングの違いについてですが、ドローイングは自分自身の内側に内側に潜っていくような感覚で制作していますが、ペインテイングは外側から客観的に自分を見ている感覚で描いています。今回はドローイングとペインテイングの両方を展示していますが、自分自身を表すときにそれぞれがあることは大切な事でした。
学生時代に脊髄の病気になってしまい「腐敗」をテーマに作品作りをしたと伺いました。あたるさんの作品には、とても切羽詰まった、生きることがもどかしくなるような危機感のようなものを感じます。死についてどのようにお考えですか?生きること・死ぬことは制作する際に意識していますか?
死ぬことは常に意識しています。
現在私たちは、少なくとも私は、死を恐れながら、生きることにも恐れている。
日本ではセックスに興味が無い若者が増加しているという現象が起きていて、フロイトの説いたエロスとタナトスの関係で言えば、エロスが減少しタナトスが増大しているという状況だと言えます。
僕もマスターベーションは好きですが、セックスに拒否反応が起きつつあります。性的なものを僕が描いてもエロティックに見えないのは、増大したタナトスの側から偏ったエロスを眺めているからであって、死の側から生を眺めている状態であるとも言えます。
本展のタイトルである「Q1」は、求愛でもあり、問うことを意味しています。私が作品を拝見させていただくと、自分の心の内を表す作品で、強烈に理解してもらいたいという叫びにも似た要求を感じます。かなり、精神的にきつい時期がありながら制作に臨んだのではないでしょうか?
人との出会いや繋がり方がインターネットによって大きく変わりました。電波や液晶画面、つまり、匂いのない、コミュニケーションでも人との繋がりを感じることができ、それで満足できる状況になりつつあります。
僕はやはり生身の人間に触れたいと思います。けれど様々な矛盾を抱えていて、人と向き合うことは簡単な事ではなくなっている。
強く求めながら、近づくことが出来ない。求められながら、受け入れられない。
僕は制作期間になると、恋人やギャラリーのオーナー以外に顔を人と合わせることがありません。
生活というものも捨てて、ただ絵を描く毎日です。
それでも気が狂わないのは、絵を描き続けられるのは、人の事を思い続けているからです。
芸術はやはり、人が、人のために作り出したものだと思います。
AS-Pa-17-016
佐藤允 Ataru Sato
Hilltop Hotel
2017
Acrylic, ink, oil on canvas
33.3 x 24.2 cm
© Ataru Sato, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA
Photo by Kenji Takahashi
AS-Pa-17-004
佐藤允 Ataru Sato
MAN
2017
59.5 x 42.0 cm
佐藤允 Ataru Sato
MAN
2017
59.5 x 42.0 cm
Photo by Kenji Takahashi
© Ataru Sato, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA
© Ataru Sato, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA
AS-Pa-17-022
佐藤允 Ataru Sato
怒り
2017
Acrylic, ink, lacquer, papercollage on canvas
Photo by Kenji Takahashi
© Ataru Sato, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA
佐藤允 Ataru Sato
怒り
2017
Acrylic, ink, lacquer, papercollage on canvas
Photo by Kenji Takahashi
© Ataru Sato, Courtesy of KOSAKU KANECHIKA
展覧会概要
展覧会名
佐藤允「求愛 / Q1」
展覧会会期
2017年5月20日(土) - 6月24日(土)
5月20日(土)18:00 - 20:00 オープニングレセプション
開廊時間
11:00 - 18:00(火・水・木・土)
11:00 - 20:00(金)
日・月・祝は休廊
会場
KOSAKU KANECHIKA
〒140-0002
東京都品川区東品川1-33-10
TERRADA Art Complex 5F
03-6712-3346
kosakukanechika.com
入場無料
佐藤允
1986年千葉県生まれ、現在は東京を拠点に制作しています。2009年に京都造形大学芸術学部情報デザイン学科先端アートコースを卒業。2007年にニューヨークのメアー・ギャラリーで、2011年と2015年にギャラリー小柳で個展を開催。主なグループ展に「第8回光州ビエンナーレ」(2010)、「ヨコハマトリエンナーレ2011: OUR MAGIC HOUR-世界はどこまで知ることができるか?―」(2011)、「Inside」(パレ・ド・トーキョー、2014)などがあります。作品は高橋コレクション、ルイ・ヴィトン・マルティエにパブリックコレクションとして収蔵されています。
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